top of page

佐枝節炸裂! 

 噂の「サイっち本」 

このコーナーでは、佐枝せつこがジャンルにとらわれず、人生に再スイッチが入りそうな本をご紹介していきます。

  蒲団   
  田山花袋 著  新潮文庫

今年は「ゲス不倫」から始まり日本中が不倫色に染まり、流行語大賞が「一線を超える」に決まりそうな“不倫糾弾現象”が起きている。北朝鮮からのミサイルより文春砲が話題になる社会現象に、一体いつから私たち日本人はこんなおかしな国民性を持つようになってしまったのであろうか……と考えながら、たまたま手にしたのが日本の自然主義文学運動の先駆けとなった作家、田山花袋の『蒲団』だった。

 

初出は『新小説』(1907年/明治40)。教え子の女学生に想いを抱く、主人公・竹中時雄の赤裸々な内面感情が告白されるストーリーは、花袋に師事していた弟子の岡田美知代との関わりを元に描かれたもので、私小説のさきがけともいわれている。

 

本書は、思ったことをすぐに言葉にできるメールやTwitterが無かった100年以上も前の話である。自分の思いを相手に伝えるためには、自分の思いを咀嚼したり俯瞰したりしながら、手紙に書くしかなかった。気持ちをストレートに伝えない時代だったからこそ、恋愛は内面の葛藤状況が激しかったのだ。一人で悶々と恋愛していれば妄想も膨らむ。一途に女学生を愛し、一挙手一投足に気を配り奔走される主人公の気持ちは、「今もこういう男性はいるよな」と素直に伝わってくる。

 

女学生に恋人が出現してからは、主人公の妄想はさらに膨らみ、二人がよもや接吻どころか肉体関係までも持っているのではないかとハラハラドキドキ。理性と情熱の狭間でひたすら葛藤するのである。女性の処女性が貴重な時代なのであるから、一線を超えたなどと知ったら、発狂しそうな勢いなのだ。

 

本書を手にした当初は、時代が違うから男女の恋愛も違うだろうと、古い時代の恋愛事情と思って読んだのだが、読み返してみると、まったく今の時代と同じ。子供を生んだ家庭的な妻に女としての魅力を感じなくなる中年男性のもとに、才気溢れる若い女性が現れ、彼女に心惹かれ、彼女に若い男の恋人がいると知れば、その男と一線を超えたのでないかと主人公が悶絶しているのだ。

 

そして去っていった女学生の蒲団の残り香をかぐ最後の場面は余りにも有名である。引用させていただくと、

「夜着の襟の天鵞絨の際立って汚れているのに顔を押しつけて、心のゆくばかりなつかしい女の匂いを嗅いだ」

 

「性慾と悲哀と絶望とが忽ち胸を襲った」と続くのだが、この悶絶こそが一線を越えられなかった中年男性の未練たらたらの後悔ではないかと思う。

 

文春砲が生み出した今時の不倫文化事情によれば、「一線を超えなければ不倫ではない」とする定義が誕生しつつある。ならば、一線は超えていない本作の主人公は不倫ではない。今なら世間に向かって胸を張ってそう言えるだろう。しかし、花袋が自らの恋心を切々と吐露した私小説を発表したことで、妻は一線を超えていなかったからよかったと胸を撫で下ろしただろうか?

 

不倫は文化であるとは言わないが、今や不倫をした芸能人を断罪することが、世間の人たちの憂さ晴らしになっている。その本質は「もし自分にそんな対象が現れたら、立場や周りのことを考えて、秘めた恋にするのに」と、一線を超えてしまった人に対して、やりたいのにやれない自分がやった人をやっかむという気持ちに違いない。

 

そんな今時の不倫事情を鑑みながら『蒲団』をぜひお読みいただきたい。若い頃にお読みになった方にも再読をお勧めしたい。当時とは別の読み方ができそうだ。

(佐枝せつこ)

bottom of page