世の中の見方が少しだけ変わるWebマガジン
Sairuma!
企画*配信 佐枝せつこ/川野ヒロミ
輝いているあの人に聞く目からウロコのストーリー
佐枝せつこの「ゲストルーム」
第3回のゲスト
歌手 西みほさん
この夏、幸せに向かって一歩前に踏み出した女性がいる。真っ白なウェディングドレスは若い花嫁にこそ似合うなどと本気で思っている方がいらしたら、ぜひ写真を見て欲しい。黄色いバラのブーケを手にした花嫁の愛らしいことといったら。

「すべての山に登れ」という曲が流れる中、ふたりのお嬢さんとしっかり腕を組んだ花嫁は披露宴会場に入場をした。
「今まではシングルマザーとして娘たちと一緒に生きてきたけれど、これからは愛する人の妻としてもうひとつの ステージに立ちます」
幾多の紆余屈折を経てこの日を迎えた花嫁の全身からは、喜びが満ち溢れていた。
花嫁は名古屋を拠点に活躍している歌手、西みほさん。クラシックからミュージカル、ジャズスタンダード、ポピュラーまで幅広いレパートリーを持つ実力派シンガーだ。
シングルマザー
西みほさんは22歳の時東京で歌手デビューをした。その後、結婚。ふたりの娘を出産するが、30歳のときに離婚をする。原因は子供が生まれてから始まった夫のDVだった。
離婚時、娘たちは6歳と3歳。夫の仕事の都合で転居していた名古屋でのできごとだ。
「九州の実家は旧家で離婚した娘は受け入れてはくれません。東京に戻ることも考えましたが、仕事を断って名古屋にきましたので、今更東京に戻っても仕事があるとは思えません。ましてや子育てをしながら生活できるとは思えませんでした」
西さんは名古屋で子育てをする覚悟を決めた。
「近所には、助けてくれるママ友達もいましたし、彼女たちは、夫からDVを受けている時も守ってくれた心強い味方でもありました」
自宅で子供たちに歌やピアノを教えながらファミリーコンサートなどの単発の仕事をこなした。
「生活は決して楽ではありませんでしたが、娘たちにひもじい思いはさせたくないし、
教育もしっかり受けさせなくてはと思っていました」
ふたりの娘を大人にするのが母としての責任。西さんは当時を振り返り言葉を噛み締めるように語った。
「ふたりの娘の母であることが私の生きる原動力でした」
仕事をしながらオーディションも受けた。
そしてNHK名古屋主催「第14回新進演奏家紹介コンサートオーディション」声楽部門にて最優秀賞を受賞する。

出会い
賞を受賞したことでステージに立つ仕事も増え、西さんは朝から夜中まで働いた。そんな時期に思春期になった次女が「父親に会いたい」と言い出す。
「離婚したのは次女が3歳の時ですから、娘は自分の父親がどんな人か知らないんですよ」
別れた夫は再婚して新しい家庭を持っていた。娘が嫌な思いをしなければいいと不安に駆られながら父親に会いに行く娘を送り出した。帰ってきた娘は「お父さんはいい人だったよ」と明るく話す。「今度4人で会おうかってお父さんが言っていた」とも。
それを聞いた西さんは激しく動揺する。
「娘が父親をいい人だと思って帰ってきた事は嬉しかったです。けれど、父親には何一つ頼らず、3人での生活を必死に守ってきたのは私です。娘の気持ちは尊重してあげたい。でも今になって何事もなかったかのように父親然として娘と過ごされては、今までの私の日々は何だったのか。育ててきたのは私なのにと正直思いました」
西さんは当時の心の叫びを切々と語ってくれた。
「娘のはじけるような笑顔が 私の心を混乱させ、娘から子離れする時期がきたことをつきつけられているようで辛かったです」
自分の心を処理できずに悩み苦しんだ。そんな西さんの心の葛藤を受け止めてくれたのが、音楽仲間でもあった今のご主人だ。
「彼も離婚してお子さんもいるので、私の気持ちをよく理解してくれました」
長すぎた春
「人は人と一緒にいないと心のバランスが悪いと思っているので、好きな人ができたら結婚したいという気持ちはありました。娘たちにも父と母のいる普通の家庭生活を味あわせてあげたかったのです」と西さんは言う。
彼を紹介すると、「やっと良い人と出会えてよかったね」と娘たちも祝福してくれた。
「お母さんはこれから若くなっていくわけではない。老後、心の支えになってくれる男の人は必要だ」と彼との結婚を応援してくれたのだ。
「娘たちは私の結婚相手に父親を求めていたわけではなく、私の人生を委ねられる相手と結婚して欲しいと願っていたのです」
子離れする時期はきていた。
彼からプロポーズをされた西さんはすぐにOKをした。なのに理由もなく待ってくれと言われて……。「それから10年待ったんですよ」
「この10年間、一体いつになったら結婚できるんだろう。なんの保証もない暮らしが嫌になり大喧嘩もしました。『これ以上待てない!』と別れたこともあります」
でもその時期に西さんは体調を崩して倒れる。
「私が弱ったとき、困ったとき、気がつくと彼がいつもそばにいてくれるんです」

長すぎる春に決別
去年の大晦日、最後の仕事が終わったライブハウスで、二人のことをよく知っているマスターが言った。
「一体ふたりはどうなっているの?」
「僕のところに来ればいいじゃないか」と彼。
「・・・・・・」と西さん。
「みほさん。行けばいいじゃないの」
店のママが西さんの背中を押した。
帰りの車の中で「結婚することになったね」と二人で苦笑いをした時には、新しい年が始まっていた。1月12日に入籍。
入籍を急いだのは、ご主人が病気で手術をすることになったので、妻として看病がしたかったからだという。
結婚披露宴
「入籍もすませたのだから披露宴をしなくてもいいのではと主人は嫌がったのですが、お世話になった方や心配をしてくださった方に、私たちは入籍もして晴れて夫婦になったことをきちんとご報告をしたかったのです。それが私にとっての披露宴でした」
披露宴の前に娘さんたちに嫁ぐ母として感謝の言葉を述べたという。
「これまであなたたちがいたから頑張ることができました。本当にありがとう」
それに応えて娘さんたちからは、「マジ!」「ウケる!」とのお言葉が……。


最後に歌手・西みほが、今までの人生の中で一番記憶に残っている音楽、思い出の曲を教えてください
――トニー・ベネットの「バット・ビューティフル」
「歌を止めようかと思っていた時期があるんです。子供のことで悩んだり、経済的な問題もあって歌なんか歌っている場合じゃないと思いつめていたんです。その時にこの曲を聴いて、感動で涙が止まらなくなりました。歌がこれほど人を感動させるものだと初めて知ったのです」
大人婚の披露宴では新婦の素晴らしい歌声も聴かせて頂いた。
母として歌手として精一杯生きてきた西さんが、妻として新しいステージに立った瞬間、
黄色いバラより美しく輝いていた。
西みほアメージング・グレース

西みほプロフィール
大分県竹田市出身。武蔵野音楽大学声楽科卒業。同大学院修了。
1985年「童話の日」記念コンサートでデビュー。
第30回西日本出身新人演奏会オーディション合格。
「第14回新進演奏家紹介コンサートオーディション」声楽部門にて最優秀賞受賞。
愛知芸術文化協会(ANET)会員。